スポンサーサイト


上記の広告は1ヶ月以上記事の更新がないブログに表示されます。
新しい記事を書くことで、こちらの広告の表示を消すことができます。  
Posted by ミリタリーブログ at

2015年05月23日

続報.....ではないのですが.....LAPD S-6 Badges

 最新のLAPDバッジについて探ってきましたが、現行のシリーズ6バッジにも1940年以来75年の変遷があり 『現行一番!』 の我日本のコレクター諸氏にも是非興味を持っていただきたいとの思いを込めた 『老人の独り言』 にお付き合いください!?
 1940年に当時のLAPD CHIEF A. Hohmannが現行のオーバル・シールドにデザイン変更しましたが、その原因としては、それまでのイーグルトップ・ゴールドシールドが採用された1923年当時はLAPD独自のデザインであったものがその後他のPDでも採用されるようになったほか、1930年代にCHIEF JAMES E DAVISが "Juice Badge" (ご褒美バッジ)と呼ばれた ”LIEUTENANT DETECTIVE" ランクタイトルバッジを有名人、高額納税者などの有力者達に7,000個以上発行したため犯罪逃れなどに利用されスキャンダルになったことなどであったようです。
 1940年最初にバッジ製造契約を取得したのは "LASSCO" (Los Angeles Stamp & Stationery Co.1968年に廃業)で、当時は4ピース(4個の部品)バッジでしたが、ダイ(金型)はLA市備品部が所有し、製造契約締結会社に貸出して製造・納品後は返却させていたようですが、ダイが摩耗などにより新たに作り替えた業者が返却しなかったこともあったようで、これらが後にパーツ・バッジと呼ばれるフェイクバッジの流出(※) につながったとも言われているようです。 その後1968年までLASSCOとENTENMANN Co.(後にENTENMANN-ROVIN Co.以下ENT社) の両社が交互に製造契約を保持していたようです。 また、1986年頃グランドファザーリングほかでの要望に応えて、ENT社とSUN社が4ピースバッジを再製造し提供したことがあったようです (※1993・4年頃日本にもENT社Rosette(ロゼット)HMのPOLICE OFFICERランクが実物として流入しましたが、POLICEMANからPOLICE OFFICER(以下PO)にランクタイトルが変更されたのは1973~1974年にかけてで、ENT社がロゼットHMを使用するようになったのは1968年からで既に契約を持っておらず、今思えばあり得ないタイトルのフェイクバッジでした。さらに、ENT社のダイアモンドHM刻印も流出していましたが、これもDept. Issuer (支給品) ではないと言われています) 。
 最初のバッジはHM(Hall Mark:製造業者刻印)がC.ENTENMANN LAの初期ENT社製で3個のパーツがベースシールドにリベット止めされています。このバッジは初期ダイのようで、モールドもハッキリしておりクオリティも高く、さらにリフィニッシュしてあるため裏側の使用感に比べ表面の状況はエクセレント・コンディションです。


 次はHM:ENTENMANN LAのバッジで、前出のバッジとはダイを替えており、さらに各パーツはロウ付けされていますが、4ピースバッジはこちらの方が主流になります。


 次は1968年に製造契約を取得したBlackinton Co.(以下VHB社) のリザーブとポリスマンランクのバッジで、それまでの4ピース仕様から初めて1ピース(一体型)のダイを取り入れました。また、これより少し前から裏面に製造年月を打刻するようになりました。
 その後2006年にリザーブオフィサーバッジの製造契約を取得することになりますが、この時のダイを使用することなく、KAAG・SUN社を踏襲したダイを作製することになるとは誰が想像できたでしょうか!?




 次は1971・2年頃に契約を取得したと言われているKAAG Trophies Co.(以下KAAG社1974年バッジ製造から撤退)の使用感のある 『歴戦の勇士』 バッジで、VHB社の一体型仕様を継承し新たにダイを作製していますが、このダイは1975・6年頃にSUN社に買い取られました。 しかし、7-75と年月刻印のあるVHB社のPOランクバッジを確認しているほか、2-75と刻印のあるKAAG社のPOランクバッジも確認しており、納品された時期や保管状況などで前後しているようです.....!?


 7-75刻印のある年季の入った?VHB社製POランクバッジ.....。


 今回の記事を妄想するにあたって久しぶりに、LAPDバッジのバイブルとも言われる ”The Centurions' Shield” を見直し、参考にさせていただきました。 著者のお二人とは自宅に招かれるなど交流をさせていただいていますが、改めて感謝いたします。

 さて、次回は1975年頃から2009年までの約35年間LAPDバッジ製造契約を独占した "SUN Badge Co." の変遷をたどりたいと思いますが、ブログに掲載できない『裏話』 もあり、それに伴う国内コレクターの反省?などなど妄想と事実に基づきながらつぶやきます.....。

P.S.:2014年2月16日付で取り上げたENTENMANN-ROVIN社の製造年月と思われる刻印について、独自に妄想をしましたが、その後3度ENT社に問い合せるも 『ナシのつぶて....』 で結果をブログ上に掲載できませんでした.....が、なんと先日FB-Fがバッジコレクターグループへ情報提供してくれ、やはり私の妄想どおり数字は月でアルファベットはA=1990年で、Q=2006年で終了し、2006年からはNew Rosetteを刻印しているということでした。(例:4B=1991年4月)

  

Posted by Kent Space at 20:11Comments(8)Kent CollectionFrom U.S.A.

2015年05月17日

続報#4.....遂に.....!?

 多くを語りません......HM:ENTENMANN-ROVIN CO. dated by 05-09 クオリティはエクセレント! もちろんヤスリの擦り跡なし.....
Photo by A.W.(Special thanks)



  

Posted by Kent Space at 16:59Comments(5)From U.S.A.

2015年05月08日

続報#3......遂に.......!?

 昨日、LAPDバッジの真相を確認しようと『しかるべき所!?』に行くことができましたが.........『しかるべき所』は、なんとLAPDの管轄ではなくLA CITYの管轄でした.......LA市が管轄するバッジを着用する組織は20以上(LAPD、LAXPD、LAFDなどなど) あるため、それらのバッジは入札、契約から検品まで市が一括管理しているとのことでした。
 ということで、興味津々で臨みましたが、詳細は裏話?的な部分もあり全てブログで書くことはできませんが、2009年9月から2013年までENTENMANN ROVIN社(以下ENT社)がPO、Det.、Sgt. ランクバッジを製造・納品していたことは確認できました。 そして........その後競争入札を経て2013年からSUN社が契約を奪取?した事も確認できましたが、画像は手持ちの iPad mini では修正加工することができないため帰国後に改めてお知らせできればと考えています。
 次の画像は、今回撮影したLAPD本部玄関前にディスプレイされている殉職者のバッジですが、2010年10月に殉職されたオフィサー・コリンズのバッジはENT社製で、2014年3月殉職されたオフィサー・リーのバッジからSUN社製に戻っています。
 まず、オフィサー・コリンズのENT社製バッジですが、ゴールド部分が赤味を帯びたカッパーゴールドに見えましたが、真鍮と銅の配分の違いでしょうか?


 次からはSUN社製に戻ったバッジですが、今後についてはシリアスになった?競争入札により価格だけでなくクオリティも加味され激戦?が予想されますが......!?
※なお、LAPD本部ビル壁面にディスプレイされている殉職者バッジはすべて 『リメイク』 されたもので、実際にオフィサーが着用していたバッジについては、ルーサイト(樹脂封入)処理され遺族に渡されています。(追記)






  

Posted by Kent Space at 17:22Comments(1)From U.S.A.

2015年05月06日

Kimber CUSTOM II TLE/RL

 先週はグランドキャニオンなどに行っていましたが、渡米も中盤に入り今週はシューティングから始まりました。しかも、友人のアカデミー同期でノースハリウッド・シュートアウトで3ヶ月目のルーキーでありながらボディーアーマーを着用していなかったディテェクティブを援護し、自らはAK47の銃弾を2発も受ける重症を負い、のちにLAPD最高勲章であるメダルオブバーロゥーとパープルハートを受けたレジェンド的ヒーローの現役サージャントと彼がメンバーになっているシューティングレンジでのシューティングすることができました。
 今回は、特にLAPD SWATの専用ガンとなっているKimberの最新バージョンであるCUSTOM II TLE/RL、新たにサービスガンの一つとなったS&W M&P (9mm) とバックアップガンとして購入したというGLOCK 42 (380) を持参してくれましたので撃つことができました。
画像追加(05/10/15)












 さらに彼は勤務中にアサルトライフルを携行するための訓練を終了しているため、UPR (Urban Police Rifle) のS&W M&P15 ライフルを持参してくれましたので、3年ぶりに撃つことができました。




 さて、明日はいよいよLAPDの『しかるべき所!?』に行く予定ですが.......。
  

Posted by Kent Space at 11:29Comments(0)From U.S.A.

2015年05月01日

続報#2......遂に.....!?

 LAPD60000番代のブラッキントン社製バッジは2006年からだと判ったのは最近のことですが、2年前には既に当ブログに片鱗を見せていました!?
 2013年1月17日付既報のラスベガスで開催された 『ショット・ショー』 ブラッキントン社ブースにディスプレイされていたサンプルバッジの中にシカゴPD、ダラスPDなどに混じって堂々と鎮座ましましておられたのです!


 バッジナンバーパネルには"SAMPLE"と表示してありますが、既に遡ること7年前にLAPDリザーブバッジとして採用されていたことを誇らしげに展示していたのではないでしょうか。


 実はブラッキントン社(以下VHB社)は1968年から1970年頃までの短期間でしたが、LAPDバッジの契約を持っていたことがありました。1940年のバッジデザイン変更以来LA STAMP社などからENTENMANN社まではシールドベース、ランクパネル、シティーホール部分とナンバーパネルが別部品のいわゆる 『フォーピース・バッジ』 であったものをVHB社が初めて一体型の 『ワンピース・バッジ』 に作り変えていたのでした。
 フォーピース・バッジはランクパネルを変えることにより汎用性もあり実に合理的で廉価版であるのに比べ、ワンピース・バッジはランク別に型を作るばかりでなく型を作る上で技術的な練度が要求されるため、型代が高額になり競争入札には不利になってしまうと言われていますので、短期間で契約を逃したVHB社は痛かったのではないでしょうか?
 その後を引き継いだKAAG社は、VHB社を上まわる仕上げのワンピース・バッジの型を作りましたが、これも短期間で1974年頃バッジ製造から撤退してしまいました。そして、このKAAG社の型を買い取ったのがSUN社で、2009年までの長きにわたり納品契約を独占してきました。
 今この記事をLA近郊の友人宅で深夜に (時差ボケが残っている) iPad miniで書いていますが、来週にはいよいよLAPDの 『しかるべき所?』 に行くことによりナゾが解けるかもしれません.......!?
  

Posted by Kent Space at 18:05Comments(2)From U.S.A.